高知県知事時代

  • 知事選 〜県民の苦しみ知る〜
  • 番外編

選挙戦での焦り


「初登庁時、花束をいただく」

 知事選を通じて「若さ」と「知名度不足」の二つに苦しめられたが、私には、もうひとつ大きなハンディがあった。「財務官僚出身」ということだ。
 「三位一体改革で地方を、高知を苦しめた財務省」「公共事業を削減し続けた財務省」等々。「地方をいじめたくて、あえていじめたのか」と言われたことまであった。
 財務省主導の超緊縮路線の評判の悪さは、想像をはるかに超えていた。当時盛り上がり始めた官僚批判と相まって、保革を問わず、医療から農業まで分野を超えてなされる批判に、私は、困惑し、時に落ち込んだ。
 私が国家公務員として勤務したのは約17年間。この間、財政再建目標の立案、公務員制度改革、治安関係予算、国土交通省関係予算、財政投融資編成など、国の予算編成業務などを通じて、様々な行政分野に関わってきた。
 総理官邸で官房副長官秘書官として勤務する中で、内閣の内政面全般の情報に触れる機会も得た。この間私は、予算を削れれば良いとしてきた訳ではなく、むしろ新しい制度を作ることが得意だと自負していたし、行政面での知識、考え方、人脈にもある程度自信はあった。
だが、選挙戦は「高知の民意とずれた霞ヶ関の公務員の感覚では、知事として通用しない」と実感することの連続だったのだ。

《体重計にのって》

 知事選の17日間、県内を回って要所要所で演説をしたが、離れて久しいこともあり、随分と恥ずかしい体験もした。須崎で特産品を語る際、ミョウガと生姜を間違えて怒られたり、梼原で木質バイオマス発電の可能性を得意がって紹介したは良いが、梼原こそが先進地であることを後に知って赤面したり。
 その間、私はほぼ毎日5食は食べていた。朝から肉類を中心にがっつり食べ、昼前には空腹に耐え難くなって車中でおにぎりなどを食べ、昼は短時間でとんかつ定食など力の付くものを食べ、更に、夕方演説会場に入る前にサンドイッチを二つ食べ、最後に家で晩ご飯を普通に食べる。
 朝から景気付けにとステーキを食べたこともある。しかも、街宣車の中では、体力維持のため、チョコやみかん、のど飴などをたびたび頬張っていた。
 選挙も終わりに近づいたころ、さぞや太っただろうとこわごわ体重計に乗って驚いた。なんと5キロも痩せていたのだ。
 確かに運動量も多かったし、顔はやせていた。車高の高い街宣車から飛び降りて、走って、握手して、演説して、また、街宣車に飛び乗って、を朝から晩まで。11月の梼原の寒さに無防備で、宿泊中に風邪をひいて、一切声が出なくなったりと、体の負荷も大きかった。
 だが、「自分は、十分な答えを持ち合わせていない」ことに気づかされ続けたことのストレスが一番大きかった。「本当に大変ぞね」との訴えにも、「何でこんなことに」との悲しみにも、納得の得られる答えを示せなかったのだ。
 霞ヶ関時代の経験から、国の関連政策を示したり、他県の良い例を語ったりしても反応は悪い。一番反応が良かったのは、東京のスーパーでは、馬路村のゆずポン酢が高くても質が良いので売れている、こんな取り組みを若さを生かしてもっともっと広げたい、という話であった。
 若さとやる気をアピールし、具体策を十分に提示できないことを大目に見て貰う日々が続いたのだ。

《道を開く》

 演説しても、納得してもらえていない、との感覚はキツい。半信半疑で呆れ気味の聴衆の顔を正視できず、逃げ出したくなったことも何度もある。それでも「必ずや答えを見つける。腰を据えて本格的な検討を重ねれば必ず見つかる」と自分を励まし続けた。
 私は選挙戦を通じて、「霞ヶ関時代の感覚から卒業する」必要を痛感した。そして、公務員ではなく政治家として、この県民の危機感に応える新たな道を切り開くことこそが求められているのだと、実感を持って学んだ。
 2007年12月7日の初登庁日。多くの県職員が出迎えてくれ、玄関ホールでは大きな花束も頂いた。やるぞ、という気持ちも大きかったが、不安も同じくらい大きかったというのが正直なところだ。
 県民もさぞ不安であられたろう。県の苦境を脱するにふさわしいプランを持ち合わせているようにも見えない、全国最年少知事の誕生だったのだから。

第三回「県政スタート 〜天にも通じるまで〜」に続く)